時間的余裕は精神的余裕
相変わらず睡眠時間は激短だけれど、とても穏やかな毎日。引き続き厳重注意を要する躁状態は続いてるけれども、イライラすることもなく、無茶な行動もなく、落ち着いて、いろんな物事に対処できています。今まで、取り掛かれなかったことを少しずつ、慌てることなくこなし、それを楽しんでやる余裕さえ出来てきた。それは、差し迫った問題の解決が出来たことに拠るところが大きい。仕事に追われない、お金に追われない、雑事に心を煩うこともない。今やらなければならないことなんて何もない。部屋の掃除は行き届いていて、完璧なほど快適だ。躁鬱病は、というか、私は、部屋が散らかっていたり、生活臭のする部屋にいると心が落ち着かない。それは子供の頃からで、真っ白な、清潔な、幻想的な部屋は心を落ち着かせる。学生時代から完璧なほど自分の部屋は綺麗だった。女の子たちが遊びに来ると、とても驚くような部屋だ。とにかくインテリアには凝っていたし、観葉植物がいっぱいで、照明は、まず、蛍光灯を使わない。お香を焚き、不思議な音楽に、幻想的な小物たち・・・ともりんと出逢った頃は、マンションの最上階のとても広い変わったロフト(っていっても立派なひとつの部屋)があって、2mを越える椰子の木に天井の広い窓から綺麗な日差しが差し込んでいる。私は部屋の中に木漏れ日を作るのが好きだ。そんなところに住んでいた。ある日、ともりんの職場の人が訪れて、私の部屋を見て驚いて帰っていった。私の部屋の噂が瞬く間に広がって、みんなで遊びに来たいと言う・・・そのうちの一人がともりんだった。その頃は、新聞配達のバイトしかしてなかったから、まぁ、時間的余裕はたっぷりあるわけで、毎日、掃除したり、スポーツクラブに出掛けたり、公園を散歩したり、優雅だった。ともりんと付き合っていくうちに、ともりんは私にお金を使うようになってきた。結局、家を飛び出して、私の元へ来たはいいが、問題は山積みで、生活のために仕事もしなければならない。優雅な生活は崩れたが、24時間365日、ともりんと一緒にいたいと思ったから、それでも良かった。まぁ、お金は何とかなるさ。本当に何とかなってきた。あのまま、ともりんは家を出なかったら、私はともりんの旦那のお金で生活し、遊び、楽ではあったが、アイデンティティや自尊心、プライド、の問題ではなくて、ともりんが、触れられたくもない元旦那との生活に心を痛めてるのを見てるのが辛かったから、私は強引に奪った。ともりんは、半ば強引に引っ張ってやらないと現状を自分で変えられない性格だから、私みたいに俺について来いみたいな破天荒な人間が合っていたのではないか。躁状態の私は、欲しいものは絶対に手に入れたいので、どんな手段を使ってでも、どんなに苦労しても、必ず手に入れる。ともりんは、こんなに大きい、強引な駄々っ子は大変と言っておおらかに笑う。そうそう、時間的余裕だ。そうして、今また、優雅な生活に戻った。優雅とは贅沢でもなければ、金銭的余裕でもない。どんな風に説明したらいいのだろう、、、何事にも縛られない生活とでもいうのかな。自分らしい生活、仕事をしててもいいんだよ、仕事が好きならば・・・やりたいこともやれない会社員は牢獄だ。束縛される生活、生活のための労働、当たり前じゃんて言われそうだが、ヨーロッパの人たちの優雅なことと言ったら!彼らは無駄なことには一切お金を使わない。日本人のけちというのとは違う、自分の価値観が明確になっているから、それに反することにお金を使うことに抵抗があるだけだ。それに比べて、日本人は!企業やマスコミに踊らされて、無駄なことにお金を使う天才だ。そして、金がない、忙しいと愚痴ってばかり・・・あとは金銭的な問題から旦那や親に寄生する。そして、どんどん、精神的に束縛されていって、ストレスからお金を使う。まず、テレビを見ないことから始めよう、コンビニでは物を買わないようにしよう、ウインドーショッピングは控えよう、適正価格をしっかり頭に入れておこう、今すぐ必要なものなのか、よく考えよう、外国製品は個人輸入しよう、安物買いは銭失い、安いからといって、くだらないものは買わない、う~ん、自分も、引っかかってきただけに、ついつい頷いてしまう。奨学金がもらえないレベルや、国公立大学へ行けないなら、大学なんて行かないほうがいい。大学という名の遊園地へ行くために、大金を使うのは馬鹿げている。もう、学歴神話は崩れている。勉強がしたい奴はどんな環境でもするんだから。だいたい、授業時間数と授業料が比例してないではないか。就職させるために、大金使って、子供から大事なものを奪って、会社という名の牢獄に入れる。会社が太るためには、人間の精神に恐ろしい仕掛けをしなければならない。自分で、自由に物事を考えられては困るんだ。それが価値観の混乱を創り出す。極論すれば、精神疾患と自殺と犯罪は、そういった装置が創り出したとも言える。私は精神を病んで、精神を病んでいく人々を目の当たりにして、自ら命を絶っていく人たちを肌で感じて、裏社会で一見、強かに生きていく人たちの虚ろな目を見て、この日本という恐ろしい装置をひしひしと感じる。日本人というアイデンティティを尊重する人は戦いを、私は、そんなものに縛られず、日本人という前に、人間であるという事実を尊重したい。そして人間は生物の一部であり、地球の一部、宇宙の一部なんだ。とかく、自分は特別だと思いがちなこの世の中で、実は、とてもちっぽけな存在であるという事実に、しかし、とても、大切な愛すべき自分に、問うてみたい。人生って何なのかを・・・・・
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